草津に行ってきました その2です。
今回は車なので、電車では行きにくい、
世良田東照宮徳川東照宮とまずチョイスしてみました。

東照宮って言われてもだいたい日光?って感じになると思いますが
実は全国で約130社くらい存在するとされているそうです。
世良田東照宮はその中でも先祖の地とさているので格が高いそうです。


世良田東照宮
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源氏の棟梁といわれた八幡太郎の孫、新田義重の居館跡。
※八幡太郎は源頼朝や足利尊氏などの先祖

なんでここに東照宮があるかというと、
新田義重の四男、得川/世良田義季のさらに8代目、得川/世良田親氏が
南北朝時代になんやかんやあって三河に流れ着き、松平氏に婿入りし、
戦国大名としての松平氏の初代となったとされているから、
得川⇒徳川ということで先祖の土地ということだからなのである。

まぁなんやかんや以前の話は、どっかのスケートで有名な人が、
のっぶの子孫であるとおなじくらい確かな話であるらしい。


とはいえ江戸時代から大切にされている由緒正しい場所であることは間違いなく、
二代将軍秀忠の時に日光東照宮奥社拝殿を移築し造営されている。


徳川東照宮
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こちらは得川/世良田義季の居館跡。
世良田東照宮のすぐ近く(車で5分くらい)に存在する。
世良田東照宮が徳川幕府に建てられたとき、
徳川郷を納めていた正田家が邸内に私的な東照宮を建てたことが始まり。
その為、規模的にも小さめであり、現在は世良田東照宮の兼務神社。


群馬県の観光で調べると、正直こちらの東照宮はあんまヒットしないんですよね。
由緒的にはもっとプッシュされてもよい感じかなと思うんですが、
今回の連休であっても、世良田東照宮に来ている方が数人って感じでした。
徳川東照宮に至っては我々以外は誰もいません。
まぁこちらは田んぼの中の小さい神社って感じでしたからね。

それよりも旅行の後に調べて分かったんですが、
通り道に使った近くの満徳寺が江戸時代に全国で二つしかない縁切り寺の一つってことに驚きました。
※もう一つは鎌倉の東慶寺…柳生忍法帳とかにも出てきますネ

大阪の陣後、千姫がこの寺に入り豊臣との縁を切った後に改めて嫁いだ由緒から幕府に縁切り寺として保障されていたみたいです。
もっとも明治維新で幕府が崩壊した後、檀家を持たなかったため存続できなくなり、
現在では満徳寺資料館としてお寺ではなく、資料館となっているみたいです。
QMAにも問題として出てくるくらいには有名みたいです。

こちらも観光客の姿は見えず…。
セットで結構観光資源にはなりそうなんですけどね。

個人的には電車では行きにくいところなので今回行けて結構満足。